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長崎簡易裁判所 昭和33年(ろ)486号 判決 1960年3月04日

被告人 橋本霞

明三八・五・二〇生 鉄工建築請負業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

本田国春は家主、被告人橋本霞はその借家人で、予てから家賃および立退問題で相互に感情を害していたものであるが、本田国春は昭和三三年一月一日午後七時頃予てのうつ憤をはらすべく、長崎市昭和町六二三番地自宅炊事場より出刃庖丁一本を携帯して、階下の橋本霞方に至り右出刃庖丁を右手に持つてその顔面に一回切りつけ、因つて同人に対し、右頬部より顎部に亘る切創治療約二週間を要する傷害を与え、被告人橋本霞は、前同日同時頃前同所において右本田国春より右の如く傷害を与えられたのに憤慨し、その出刃庖丁をもぎ取り、之を右手に持つて同人の右耳後部を一回突き刺し、因つて同人に対し右耳後部切創等治療約二〇日を要する傷害を与えたものである

というのである。

被告人および弁護人は、被告人の所為は本田国春の急迫不正の侵害に対して自己の生命身体を防衛するために已むことを得ざるに出でたものであるから正当防衛である旨弁疎する。

そこで、先ず、被告人と本田国春との本件傷害事件発生前の関係についてみると、被告人の当公廷における供述司法警察員作成の被告人の供述調書、証人本田国春、同本田美栄子の証言を綜合すれば、被告人は鉄工を職業とし、昭和三二年四月頃から敷金三〇、〇〇〇円賃料一ヶ月金三、五〇〇円で本田国春より家屋を賃借し、長男橋本竜三(当時一八年)弟子山田昭則(当時一九年)の二人と居住していたところ、数ヶ月後になつて本田国春から家屋を売却することになつたので倉庫を改造して住家とした木造二階建の階下に移転せよと交渉があり、被告人しては不満であつたが敷金三〇、〇〇〇円中半額を返還すること、賃料は一ヶ月金二、五〇〇円に減額する条件でこれに応じた。しかし、本田国春が敷金の半額を直ちに返還しなかつたことから賃料と差引をする等のことがあり、また、その後本田国春から妹を居住させたいので階下の部屋も明渡されたい旨交渉があつたところから、被告人は本田国春に対して自己の都合のみ主張し借家人の立場を考えない勝手な男であるものとして不快な気持を抱き、一方本田国春は被告人に賃貸した家屋の二階に妻子と共に居住し燃料商をしていたのであるが、被告人が故意に階下の賃貸部分を毀損しているものと思料し、これまた被告人に対し不快の念を有していたので、同一家屋の階下と二階に住んでいたものの両者の間は正常を欠き感情的に若干の対立状態にあつたことが認められる。

次に、本件傷害事件発生の日の両者の状態についてみると、前記証拠によれば、本田国春は昭和三三年一月一日午前一〇時頃自ら雑煮を作り妻子と共に喰い若干の飲酒をしたが、午後二時頃から年賀の客が順次五、六名あつたので、これらの客と共に午後七時頃までの間に酒二升、焼酎七合位を飲んでいたから、平素焼酎二合を晩酌し相当の酒量を有するものではあるが当時相当に酩酊しており、また、被告人は平素酒二、三合を晩酌する酒量のもので、当日の朝、長男竜三、弟子昭則の二名と共に酒六合位を飲み、竜三らの作つた雑煮を喰い、竜三らが外出した後昼寝をして夕方眠りが覚めてから午後七時頃飲み残りの酒四合位の内約三合位を飲んでいたので、これまた若干酩酊していたものであることが認められる。

ところで、本件傷害事件の状況について、証人本田国春は「私が出刃庖丁を持つて出たときの気持は酩酊していたのでよく判らない、酩酊していたため喧嘩で話をつけようと考えたのかも判らないが、とにかく、私が出刃庖丁を持つて被告人方の三畳の間に上つたとき被告人は六畳の間に蒲団を敷いてその上に坐つていたが、何をするか、といいながら立上つて来て私と向いあつた。私は普通に持つていた出刃庖丁で思わず被告人を叩いた、出刃庖丁は被告人の右頬に当り血が流れ出した、私はしまつたと思い半ば呆然となつた、被告人は本田やつたな、といいながら炊事場の方に出て行つたが直に引返して来て呆然としている私から出刃庖丁を取り上げた、私が逃げようとしたら被告人は私の袖口を掴んで右手に持つていた出刃庖丁で私の左肩を刺したので私はよろめいた、すると、被告人は私の襟首を左手で掴み、本田、俺は正当防衛だぞヒヒヒ……と笑つて私の右首の辺りに出刃庖丁を突刺した、私は殺されると思つて美栄子と妻の名を呼びながら出口の方に逃げようとしてあとずざりをした。被告人は出刃庖丁を突刺したまま押して来た、そして、出刃庖丁を離すと同時に私を前に引張つたので私は六畳の間の蒲団の辺りに倒れた、すると、被告人は倒れた私に馬乗りになつて出刃庖丁を逆手に持つて私を刺そうとした、私は刺されまいとして下から被告人の手を支えて抵抗していた、そこに、小笹八郎が来て被告人から出刃庖丁を取上げた」旨供述し、検証調書中にも同人が立会人として同旨の供述をした旨記載されている。また、証人本田美栄子は「お客さんが帰つたので実家に行くべく里帰りの仕度をしていたら、夫が炊事場から出刃庖丁を持つて出ようとしていたので、どうするのかと尋ねたら、橋本に一言話をつけて来るといつて平素と違うけんまくで降りて行つた、間もなく、下で叫び声がすると共にドタバタ音がしたので、そのまま小笹八郎の家に走つて行つた、小笹八郎と増田卯五郎が直ぐ来てくれ私は同人らの後から被告人方玄関土間に入つた、私が入つたとき、三畳の間で二人がくみあつており、夫が下になり被告人が上から夫の首を押えていた」旨供述するのである。これに対して被告人は「正月用の酒を一升とつてあり、朝竜三らが作つた雑煮を喰べたとき三人で六合程飲んだ、竜三らは正月で遊びのために外出した、私はそのまま昼寝をしていたが何時頃であつたか時刻はよく判らないが二階の騒ぎでふと眼が覚めた、二階の本田方にはお客があつて飲みながら騒いでいる様子であつた、私は飲み残りの酒を一人で飲んでいると橋本居るかと二階から本田が呼んでいた、私は黙つていたが何回も呼ぶのでおい居るよと返事をした、本田が来るかと思つたが来る様子もなかつた、酒はまだ一合位残つていたが外出しようかと思つている内玄関の戸が開いて本田が入つて来た、平素は仲がよくなかつたが正月だから新年の挨拶にでも来たのだろうと思つていた、すると、黙つたまま私の前に来て中腰になりスーツと何かで顔を突いた、思わず顔をさけたが何かが顔に当つたようにあつたので手を当てたら血が出ており出刃庖丁で突いたことが判つた。ハッとして酔いも覚め驚いて立上つた、本田は出刃庖丁を突出して追つて来た、逃げている内隙をみて本田に飛びついたら二人とも倒れた、出刃庖丁は飛びついたときに奪い取つたように思う、しかし、放したらやられると思つて本田にしがみついていた、本田を斬つたことはしがみついている内腕に血が流れて来たので判つた、しかし、そのときは恐怖、驚愕し興奮して夢中になつていたから、どのような姿勢で本田の何処を斬つたのか具体的には記憶しない旨弁解するのである。そこで、以上の各供述の信憑性について検討すると、証人小笹八郎は「本田の妻から夫が喧嘩をしているから止めに来てくれといわれ、駈けつけたとき、六畳の間の蒲団のところに本田を被告人が横に向いあつたようにして倒れ、二人とも両手で毛布で包んだようにした出刃庖丁を頭の上辺で互に握りあつていたので庖丁を離せといつたが離さないから一、二、三の号令で同時に離せといつて号令をかけたら二人とも離した、私は二人が離した出刃庖丁を附近にあつた火鉢の灰の中に突込んで隠した、本田と被告人のいずれかが相手を上から押付けた状態ではなかつた」旨供述し証人増田卯五郎は「新年の挨拶に小笹八郎のところに行つていたら本田の妻が、夫が喧嘩をしているから止めに来てくれといつて来たので小笹と共に走つて行つた、そのとき二人は三畳の間で頭を北に向けて横向きに倒れながら一本の出刃刃丁をそれぞれ両手で奪いあつていたので小笹が側にあつたメリヤスで庖丁を包んで椀ぎとつたそして二人を起したら驚く程の血が出ていた」旨供述し、検察官作成の同人の供述調書にも「私は橋本が本田の上に馬乗りになつているのを見たことはない」旨記載されている。

そうすると、被告人が本田国春を押えつけて馬乗りになり出刃庖丁を逆手に握つて刺そうとし、本田国春は刺されまいとして下から被告人の手を支えて抵抗していた旨の前記本田国春同美栄子の各供述は、証人小笹八郎同増田卯五郎の各証言と著しく異るわけであるが、これら証言のいずれが採用せらるべきものであるかといえば、本田国春は証人ではあるがいわば事件の当事者にして、本田美栄子はその妻であるのに対し、証人小笹八郎、同増田卯五郎は共に利害関係のない第三者にして、且つ小笹八郎は本田国春夫妻の媒酌人で長崎市議会議員の身分を有するものでもあり、同人らの証言を疑わなければならない資料は別に存在しないところからして、これは、同人らの証言を採用するのが相当である。そうだとすれば、被告人が本田国春の上に馬乗りになつて首を押え刺そうとしていたとの前敍本田国春同美栄子の各証言部分は記憶違いによるものか、錯誤によるものか、又は意思を通じた虚偽の陳述であるか明かでないけれども、とにかくこの点は事実に反する供述であるものと断ぜざるを得ない、のみならず、本田国春は当時三一才の壮年にして身長五尺八寸位あり相撲、柔道で鍛えた堂々たる体躯を有するものであるのに、被告人は当時年令五二才身長五尺二寸位且つ痩身者であるから、体格において比較にならぬ程本田国春が優位にあることは、本田国春、本田美栄子、小笹八郎、谷川島雄らの証言、検証に立会しまた法廷に出頭した際の状況から十分認められるところにして、また、二階から橋本居るかと声をかけ、被告人が在室していることを確かめた上、平素と違うけんまくで被告人に話をつけて来るといつて出刃刃丁を持つて降りて行つた旨の本田美栄子の前記証言からみても、当時本田国春が相当激昂した状態にあつたことが窺われるので、これらの点を綜合すれば、本田国春が当時酩酊していたとはいえ(しかし、その程度が心神喪失の状態にあつたことを認むべきものはない)被告人に一回斬りつけたがそれによる出血を見て呆然となつてしまいその後は全く被告人のなすがままになつていた旨の前記証言部分についても直ちに首肯し得べきものであるが一応疑問といわなければならない。これに対して、家屋の賃貸問題で互に感情を害していたとはいえ、兇器を用いて喧嘩をしなければならない程の対立は従前存立しなかつたのであり、橋本居るか、と声をかけられたのに対して、おい居るよ、と返事をしているところから、本田国春が来るかも知れないことは一応予想していたとはいえ、出刃庖丁を携帯して喧嘩に来るであらうことを予測し得べき事情は何らないのであるから、平素仲が悪くても正月だから挨拶に来るのだらうと被告人が思つていたとしてもこれまた当然という外はなく、また、被告人の本田国春が出刃庖丁を持つていることは刺されるまで知らなかつたとの供述については、証人谷川島雄の「本田が二階から降りて被告人方に行くのを見ていたが、片手をポケットに突込み片手を手すりにかけて階段を降りた、降りてからあつちこつち二、三回ふらついてから入つて行つた、出刃庖丁を持つているようには感じなかつた」旨の供述と、検証調書によれば、本田国春方の階段は被告人に賃貸してある部分の西側外壁に接し梯子をかけたものであつて、手すりは両方についているけれども、上部の部分は西側のみについているものであることが認められるから、この階段の構造とを綜合すれば、本田国春は上衣の右側ポケットに出刃庖丁を入れて握り、左手を階段の手すりにかけながら降りてそのまま被告人方に入つて行つたものであることを一応推認することができるので、これと、出刃庖丁を携帯し来るであらうことを予測し得べき事情の存在しなかつたことを綜合すれば、この点被告人の供述は肯けないことはない。次に本田国春から刺されて傷を負うて後、逃げている内隙を見て本田国春に飛びかかり出刃庖丁を奪つたが何時どのようにして斬つたか記憶しない旨の供述について考えてみると、正月気分で酒を飲んでいるところに本田国春が出刃庖丁を携帯して来て突然突刺し傷害を加えたものとすれば、被告人が恐怖と驚愕のために一時的に極度の興奮状態に陥つていたであらうことは容易に推察し得るところであり、かかる状態にあつたものが事後空白状態になつてそのため当時の顛末を具体的には記憶しないとすることもまたあり得ないことではないから、この点の被告人の供述も特に疑わなければならぬものではない。以上の如く証人本田国春、同美栄子の各証言には、重要な部分について採用できないところがあり、爾余の部分についても直ちに首肯し難いものがあるのに対して被告人の供述は一応納得できるものということができる。

そこで証人本田国春、同本田美栄子の前記証言部分を除いてその他の証拠を綜合し本件傷害事件を検討すると、被告人方は三畳六畳の二間それに玄関の土間と板張りの炊事場からなつていて部屋には襖障子の建具はなく、出入口は表玄関の硝子戸と裏炊事場に板戸があり、なお、六畳の間に硝子窓があるが、表玄関以外の戸窓はすべて戸締りしてあつたもので、被告人は当時六畳の間の壁際に蒲団を敷きその上に坐つて酒を飲みつつ若干酩酊しており、本田国春もまた酩酊していたものであるが、本田国春は部屋の賃貸問題について解決しようと思料し、二階の自室から階下の被告人に対して「橋本居るか」と声をかけ「おい居るよ」との返事により被告人が在室していることを確めた上、午後七時頃自室炊事場から出刃庖丁(証第一号)を携え妻美栄子の何をするかとの制止に対し「橋本に一言話をつけて来る」といつたまま階段を降り、被告人方玄関の戸を開けて部屋に上り、無言のまま被告人の前に至り、中腰になつて左手で被告人の襟首を掴み右手に握つた出刃庖丁で被告人を突刺したので被告人は瞬間顔を右にさけたが左頬部から左顎部に亘り公訴事実記載の如き切創を受けるに至つた(公訴事実には右頬部より顎部に亘る切創と記載してあるもこれは頭部より顎部に亘る切創の誤記と認める)そこで、被告人は驚き逃げようとしたが、本田国春はなお出刃庖丁を突出して追つて来るので、被告人は部屋の中を逃げ廻つている内隙をみて飛びかかり出刃庖丁を奪い取つた。しかし、本田国春はこれを取戻すべく、とりくみあいの格斗となつたので、被告人はその格斗中本田国春の右耳後部左肩左手に治療約二〇日を要する切創を加えたものにして、急を聞いた小笹八郎が駈けつけ、格斗中の両名から出刃庖丁を取上げたので争斗は終つたものであると認定するのが相当である。

被告人の右所為が正当防衛であるかについて検討すれば、本田国春が出刃庖丁を携え来たりこれをもつて飲酒中の被告人に対し突然突刺して傷害を加え、逃げようとする被告人になおこれを突つけて迫ることは生命身体に対する急迫なる侵害であり、被告人が逃げている内隙をみて飛びかかり出刃庖丁を奪い取つたとしても、体格において前記の如く優位にある本田国春がこれを取戻そうとして、とりくみあいの格斗になつたものである以上、被告人が奪い取つた出刃庖丁で本田国春を突刺し傷害を加えたとしてもこれは防衛のため已むを得ざるに出でたものというの外はない。従つて被告人の所為は正当防衛にして罪とならないものである。

よつて刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 宇戸孝正)

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